【近畿の魅力発信Vol.048兵庫県高砂市】

【近畿の魅力発信Vol.048兵庫県高砂市】

高砂市は加古川の河口部西側に形成された沖積平野であり、北西部には「播磨アルプス」と呼称される山々がそびえるほか、凝灰岩質の岩山が点在していて、南は播磨灘に面しています。瀬戸内海式気候により、年間を通して比較的温暖である反面、降水量は少なく、農地やその跡地ではため池が多く見られます。

そんな高砂市の魅力は生石神社です。兵庫県高砂市の閑静な住宅街の裏山にひっそりと佇む生石神社。実はこの神社、知る人ぞ知るパワースポットで、ご神体は水の上に浮かんでいると言われる重さ500トンの巨大な石造物なんです。これは一体何なのか?いつ、だれが、なんのために作ったのか。強力なパワーを感じるこの石造物の謎に迫りたいと思います!

兵庫県高砂市・宝殿山山腹の生石神社に神体として祭られている巨石。鎮の石室(しずのいわや)、天の浮石(あめのうきいし)または単に浮石とも言われます。
この石の宝殿が書物に出てくる最も古いものは播磨の国風土記。730年前後に編纂された書物で「聖徳太子の時代に物部守屋が作った」と書かれています。つまり奈良時代には既に存在したのであり、かつ記述が本当であるとすれば580年頃(聖徳太子の時代)に作られたことになります。なんと約1300年前には確実に存在し、1500年近くも前からここにあった可能性があるのです。


写真は背面にある突起部分です。これ、家の屋根のように見えませんか?実はこれが上部で正面が底部だという説があります。岩盤と繋がっている現在の底部を切り離し、引き起こして三角の部分を上にすると大きな家のような形になります。家の形をしたオブジェ?ご神体?完成したらどこかに持っていくつもりだったのか?いや、500トンあるものをどうやって運ぶのか?そもそも、これは完成形なのか、作りかけで放棄されたものなのか?謎は深まるばかりです。

生石神社略記には古事記や日本書紀に出てくる、オオアナムチとスクナヒコナが国土を治めるにふさわしい石の宮殿を一夜にして作ろうと図ったが、時阿賀の神が反乱をおこしたため鎮圧に向かい、このため未完成に終わったと書かれています。
生石神社の社伝に大穴牟遅神と少毘古那神の二神による伝説が伝えられています。二神が出雲国から播磨国に来た際、石造の宮殿を建てようとして一夜のうちに現在の形まで造ったが、途中で播磨の土着の神の反乱が起こり、宮殿造営を止めて反乱を鎮圧している間に夜が明けてしまい、宮殿は横倒しのまま起こすことができなかった。
しかし二神は、宮殿が未完成でもここに鎮まり国土を守ることを誓った、というものであると聞きました。

この浮石ですが、巨大古墳の中心に据える石郭だという説が比較的有力なようですが、500トンあるものをどこに運んで、どこで古墳を作るつもりだったのかは説明がつきません。ゾロアスター教(拝火教)の祭壇だとか占星台という説もあるようですが、どれも絶対的な説とはなりえていません。
岩盤に囲まれた狭い空間のなかで、この巨石と対面すると圧倒的なパワーを感じます。古代からひっそりとこの場に存在する石の宝殿。私たちに何かを語りかけているようにも感じます。みなさん、是非この地を訪れてそのパワーを感じ、古代のロマンに浸ってみてください。
高砂の課題点ですが観光PR力が弱く広報効果が発揮されていない現状があります。認知度を高めて観光スポットになるためには広報PRが大事だと聞きました。

公益社団法人日本青年会議所近畿地区協議会持続可能な近畿確立委員会は新たな経済循環のビジネスモデルを確立するために運動しています。地域の魅力と課題の発信、そしてそれを解決するため、市町村の枠を超えた地域の魅力同士のマッチングやコラボレーションの提案を目指しています。6月末までマッチング・コラボレーション先の募集をし、7月以降は実際にマッチング・コラボレーションし、課題を解決・ビジネスモデルを確立した例をご紹介していきます。